こんにちは。みきです。
最近、新しく出会う人が増えたせいか、周りからよく「なんでベジタリアンなの?」とか「いつから?」とか聞かれることが多くなりました。
確かにこの事について話すのは、今まであまりなかったように思います。
ということで今回は、私がベジタリアンになった理由や、その経緯をまとめてみました。
目次
ベジタリアンにも色々ある

そもそも「ベジタリアン」と一言でいってもその種類はたくさんあります。
- ビーガン(植物性食品のみを食べる)
- ラクト・ベジタリアン(植物性食品と乳製品は食べる)
- ラクト・オボ・ベジタリアン(植物性食品と乳製品、卵は食べる)
- ペスコ・ベジタリアン(植物性食品と魚、卵、乳製品は食べる)
引用:https://vegewel.com/ja/style/vegan-vegetarian/
今ではこの他にも、もっと細かく分類わけされていますが、ざっくりとこんな感じです。
で、私は「ペスコ・ベジタリアン」に当てはまります。
植物性食品と魚、卵、乳製品は食べるけど、動物性のお肉は食べません。
でも動物性を全く摂らないかといったらそうでもなく、たとえば料理に使われている動物性エキスや出汁等はあまり気にしません。
でも、ラーメンのばりばり豚骨とかはやっぱり食べません。
そんな風なゆるい感じです。
なので、厳格なヴィーガン生活を送ってる方からしたら、ちょっと疑問を持たれる方もいるかもしれません。
まぁ、世の中こんな人もいるんだなぁ〜って感じで読んでもらえればと思います。
なぜベジタリアンになったのか?きっかけは?

私はなぜベジタリアンになったのか説明しますね。
確か4歳くらいの時、家で夕食を食べているときのことです。
その頃は普通にお肉を食べていました。
そんな時、ひとつ上の姉に急にこんなことを言われました。
その言葉を聞いた瞬間に、自分の中の何かがシャットアウトしました。
その感覚は衝撃的だったので、今でも鮮明にその時のことを覚えています。
まるで体の全細胞がお肉を食べるのを拒否する感覚でした。
それがシャットアウト。
でもそれと同時に、ある回路が開いたというか。
なんていうか、お肉からのエネルギーが伝わるようになってしまったんです。
その回路が開いたことによって、シャットアウトするようになってしまった、、。
伝わります?(説明へた)
でも小さい頃はその感覚を言葉にするのはとても難しく(今でも難しい)とにかく、その出来事がきっかけでお肉が食べられなくなったのでした。
当時は、お肉が動物性のものだと分かっていたのか分かっていなかったのか、その辺のことは自分でもよく覚えていないのですが。
きっとそれまでは何も考えずにパクパク食べれていたのだと思います。
でも姉に言われたその一言がきっかけで、お肉が牛や豚、鳥ということをしっかりと自分の中で認識した瞬間でした。
お肉は体が受け付けない

それ以降、全くお肉が食べられなくなったわけですが、魚や卵、乳製品は変わらず口にしていました。
また私の場合、この時から今も変わらずなのですが、自分がベジタリアンということに対して何か明確な目的や思想を持っているわけではありません。
よくベジタリアンやビーガンの方は動物愛護の気持ちが強かったり、環境保護に対する想いが強かったりする傾向があると思うのですが…。
(もちろん他にも、人によってさまざまな理由があるかと思います。)
確かに私は動物が大好きだし、動物の気持ちがよく分かるけど、かといってそれがベジタリアンに直接繋がるわけではなく…。
ベジタリアンでいることに何か特別な理由があるわけでもないのです。
この辺はナイーブなことなので、ビーガンやベジタリアンの方からすると、モヤっとするかもしれませんが。
実際「ベジタリアンになろう!」と思ってなったわけではないし(当時4歳だし)気付いたら食べられない体質になっていたというのが正直なところなんです。
ただ体が受け付けなくなったので食べない。
それだけなんです。
小学校の給食問題

それ以降、家ではお肉を食べない日が始まりました。
元々うちの家系はそこまで肉食ではなかったので(母も鶏肉を食べない人だった)そんなに大した問題ではなかったです。
しかし、小学校へ上がると給食があるじゃないですか。
その給食の時間が私にとっては苦痛で仕方なかったのです。
当時はまだ自分が「ベジタリアン」というのに分類されるなんて思ってもいなかったし、その言葉すら知りませんでした。
なので自分でも「お肉が食べられない」=「好き嫌いしている」という認識だったのです。
もちろん学校の給食は残しちゃダメなので、お肉が出ても食べなきゃいけません。
気合いで食べていました。
でも本当に体が受け付けなかったので、オエオエ言って食べるか牛乳で流し込んでいました。
今振り返っても本当に気の毒…。
また給食って、クリスマスとか何か特別な日だと必ずでっかいチキンが出てきたりするんですよね。
みんな喜んでいたけど、私は本当に嫌で嫌でたまりませんでした。
クリスマス給食のせいで、学校を休みたいと言ったこともあります。
今の小学校はどうなんでしょうね…。
アレルギーや宗教の関係で食べられるものが限られるのと同じように、ベジタリアンの人にも何かしらの対応をとってもらえるといいなと個人的には思いますね。
中学生以降ほぼ「ベジタリアン」になる

中学へ上がると、給食も選択制だったのでいつも「肉以外」の給食メニューを選んで食べるようになりました。
なので、中学の頃から家でも外でもお肉はほぼ口にすることがなくなったのです。
それでも中学のときは結構まわりから不思議がられました。
「なんでお肉食べないの?」「お肉食べないなんて人生損してるよ」と何度言われたことか。
自分がお肉を食べられないのは体が受け付けないから、気持ち悪くなるからというのは分かっていたけど…。
なんとなくそんなこと言ったらダメな気がして「なんか食感がすきじゃない」とか「なんとなく好きじゃないんだよね」とか曖昧な返答をしていました。
そしてこの頃からスーパーのお肉売り場も、ちょっと苦手になってしまいました。
エネルギーをキャッチしやすいって言うと、何のことやら?って思われそうなんですが、そういう表現になってしまうんですよね。
「ペスコ・ベジタリアン」私の捉え方

ここまで私のベジタリアンになったきっかけや経緯を書いてきました。
しかし、私はただ単にムリやり決められた枠の中に当てはめれば「ペスコ・ベジタリアン」というだけです。
そもそも自分の中で「これはいい」とか「これはダメ」とか、あまりジャッジしていなければ「ベジタリアンなんだからこれは食べちゃダメなんだ」と頭で考えながら食事したことも一切ありません。
もしかしたらベジタリアンでは、こういう人の方が珍しいかもしれませんね。
自分の感覚で、体の欲求で食べるもの、食べないものを決めています。
その結果、お肉が食べられなくなったというだけ。
きっと私の体にはお肉が必要ないんだと思っています。
ベジタリアンでもベジタリアンじゃなくても、どっちでもいい

ということで、現在も私はベジタリアンとして生活しています。
特に不自由なことはそこまでないです。
ただみんなの集まりで「焼肉行こう!」とか言われると、ちょっとテンションが下がるくらい。
先ほども書いたように
- ◯◯は体に悪いから食べない
- ◯◯は良くないから食べない
- 環境のために◯◯はやめなきゃ
みたいな考えが好きではないし、自分にもそういう制限をかけた生き方はしてほしくないので、そうは思っていないです。
たとえ隣の人がガンガン肉を食べていようが気にしません。
ただこの私の「ベジタリアン」に関しては自然と、自分の体の欲求に従っていったらそうなっていたということ。
だから「ベジタリアンがいい」だの「ビーガンがいい」だの「いやそんなこと矛盾してる」だのと言った、思想の押し付け合いや、討論には参加しません。
「ふーん、こんな人もいるんだ」くらいに伝わってくれればいいなと思っています。
みんな自分が欲するものを食べて、感謝して生きていけばいいと思っているから。


追記:私がベジタリアンになった経緯は上記の通りですが、この記事執筆後、自身を取りまく環境やライフスタイルにだいぶ変化があり「ベジタリアン」に対する捉え方にも自然と変化がありました。その辺のことはまた改めて書きたいと思います。